結局、1月2日に2016年の計を立てることは叶わず、計画の立て方を根本的に見直すことにしました。
目標の設定せずに計画を立てようとしていたことが間違えていたように思えます。
なぜ間違えていたのか?それは、たどり着きたいところを明確にせずには、そこにどのように進むか、つまり、計画を立てることは能わないのは当然だ、ということです。
戦略コンサルタントの友人に言わせると、クライアントにもよく見られる、典型的な迷走例だ、ということです。あるべき姿(:To Be、個人では、目標)を設定せずに、現状(:As Is)から、出来ることの積み上げで気合と根性で進もうとするため、正しい方向に進むことができない、ということになります。
なるほど、ということで、目標を設定していくことにしましょう。目標はどうやって設定すればよいのでしょうか?
また困ってしまいました。
神田正則さんの非常識な成功法則を読むと、やりたくないことを見つける、ということが出てきました。目標は紙に書くと成功する、とありますが、目標の作り方として、先に、やりたくないことを書き出して、やりたくないことを明確にすることで、本当にやりたいことが見つかる、という手順が提示されています。やりたくないことを明確化する前に、やりたいことを目標にするとうまくいかない、それは、やりたいことの中にはやりたくないことが含まれるから、という理由からだ、と。なるほどー。
また、次に、自分の命が後半年しかなかったら、何をやらなければならないのか?これで、私のミッションを明確化する、というステップです。
じゃあ、まず、何をやりたくないのか、ということを考えてみましょう。
朝の満員電車での通勤がいやだ
お金が足りなくてお金を心配することをやりたくない
食事するときに、スーパーで閉店間際のディスカウントを待つことで安く食料を購入することをいつも考えることはやりたくない
朝寝坊して遅刻しそうと焦りながら出社を急ぐようなことはやりたくない
売上・営業ノルマで上司から詰められたり、ノルマに到達できずに誰からも責められなかったとしても、切羽詰まるようなストレスを抱えるようなことはやりたくない
小僧にこき使われるような仕事はやりたくない
時間の使い方を人に決められるようなことはやりたくない
外食する際にお金がないからやめておこうと思うようなことはやりたくない
お金と時間がないから何もせずに家に閉じこもって旅行できなかったり、海外を経験できないようなことはやりたくない
狭い世界の中でしか生きていかないようなことはやりたくない
家族にひもじい思いはさせたくない
けがをしたり病気になったら、休みを取らずに、回復しないまま働くことはやりたくない
肋骨が折れたまま働くようなことはやりたくない
肺炎になったまま働くようなことはやりたくない
毎日将来を不安に思いながら暮らすことはやりたくない
食費がなくて空腹で生活するようなことはやりたくない
できない、やらない理由を考えて、何かしようとしたときに、あきらめる理由を探して納得するようなことはやりたくない
孤独死するようなことはやりたくない
病気になりたくない
けがをしたくない
家族を不幸にするようなことはやりたくない
英語が話せないから英語でのコミュニケーションを避けるようなことはやりたくない
真剣にやらずに、まじめに取り組まなかったからうまくいかなかったと、最初から言い訳を用意して物事に取り組むことはやりたくない
汚い、散らかった部屋で生活したくない
家にあるはずの必要なものを捜しまわって時間を浪費したくない
食材を消費期限内に消費せず、廃棄するようなことはやりたくない
ゴミの日にゴミを捨てず、部屋の中にゴミ袋がたまっていくようなことはやりたくない
つらつらと書き連ねてしまいましたが、大きくは、金銭面に起因するところ、お金がないところが大きいような気がしてしまいます。
じゃあ、今年の目標は、収入をあげること、としたいのですが、では、収入を上げるために何ができるのか、という問いにまた戻ってしまいました。
コメント